オギの備忘録

やあ、私の名はオギだ。何かを発信したかった。ブログを開設した理由はそれだけで十分さ。

俺の過去を振り返る (高校編)

[目次]

 

 過去回想編です。過去を振り返る記事は、ブログ開設時からやりたいと思っていました。全3部作、まずは高校編です。

 

前説


 俺は中学生のころまでは所謂「デキル奴」だった。


 自分で言うものなんだが、客観的に見てもそう言えるだろう。定期テストでは常に10番以内、部活動(陸上部)では県大会出場。学校対抗駅伝の代表にも3年連続で選ばれた。
通知表の評定は9教科合計40点を下回った記憶がない。それどころか、9教科45点満点を取ったことすらある。まさに「文武両道」を体現していた。

 そんな俺は県立の進学校に入学した。今思えば、この3年間がいい意味でも悪い意味でも、今の自分の思想を形作ったのだろう。

 

1年生春 ~驕り~


 入学当初の俺は調子に乗っていた。必死こいて勉強した記憶がないのに、気が付いたら県内でトップクラスの高校に進学していたからだ。そんなんだから「あれ? 俺案外この高校でもそれなりにやっていけるんじゃないか?」と自分の能力を疑っていなかった。
 そんな調子に乗りまくっていた俺は、文化祭実行委員や陸上部に加入したりして、高校生活を楽しんでいた。
 そして更に調子に乗っていた俺は、前々から欲しかったNintendo 3DS(中古)を購入した。

 

思えば、これが「運命の分岐点」だったのかもしれない。

 

 新しいゲーム機を手にした俺は、毎日部活とゲーム三昧の日々を過ごしていた。そして迎えた1学期中間テスト。……俺は全く勉強していなかった。部活とゲーム三昧だったから、というのもそうだが、このときの俺は軽い「燃え尽き症候群」になっていたのだ。「高校に合格すること」が目的になってしまっていたのだ。そんなんだから勉強のやる気など起こるはずもなく……。初めてのテストはDラン(下位20~30%)という称号を承ることになったのだ。

(当時の1年生は約360人。俺の通っていた高校では、テストの順位に応じて非公式のランク付けがされていた。)

 

 これには流石に絶望した。何せ、今までトップ層を走っていた人間が下から数えたほうが早い部類にまで落ちぶれたのだ。しかし、勉強のやる気は依然として湧かなかった。それよりも文化祭と部活とゲームのことで頭が一杯だった。

 

1年生秋 ~文化祭終了~


 部活三昧の夏休みが終わり、2学期が始まった。高校の文化祭は、基本的には夏休み明けすぐの週末に行われる。俺の通っていた高校の文化祭は、高校にしてはとにかく規模が大きかった。
 俺は文化祭実行委員の「イベント班」に属していた。なんでも、イベント班の1年生は野外ステージで出し物をすることになっている。面白いこと好きの俺が食いつかないはずはなかった。夏休みの間は部活と並行で、出し物であるダンスの練習をしていた。そして迎えた本番。出し物は見事に成功した。

 

だが、高校生活で楽しかったのは正直ここまでだった。

 

 2学期中間テスト。Eラン(下位10%)を取った。文化祭が終了したということで、親もいよいよ当たりが厳しくなってきた。しかし、それでも勉強の意欲は起きなかった。膨大な課題をこなしつつ、1年生の1学期分の遅れを取り戻せるビジョンが見えなかったからだ。
 文化祭終了後、月日はあっという間に過ぎていった。それくらいには、高校生活のこれといった思い出がなかったのかもしれない。ただ、日に日に自分が嫌いになっていくことだけが分かった。

 

2年生 ~重圧~

 

 2年生の6月。部活の県大会に来ていた。とは言っても、県大会に出場した先輩の応援でだが(陸上部では誰かが県大会に出場したら、公欠を取って部員全員で応援に行くことになっている)。
 県大会最終日。毎年この時期に世代交代が行われる。短距離、長距離部門から1人ずつ代表を選出し、どちらかがそれぞれ次期部長・副部長になる(俺は長距離部門)。正直、この発表がされる前から「次期長距離部門代表は俺だな」という確信は持っていた。人間的な面で俺が一番マシな部類だったのだ(俺より実力のある人はいるにはいるのだが)。


まあ、案の定俺が長距離部門代表兼、副部長に任命された。

そこまではよかった。

 

 だが、俺は自分で思っているより真面目だったのかもしれない。2年生の秋頃、副部長としての責務に押しつぶされた。「チームをまとめられているか」、と聞かれればそうでもない。「ならばチームで一番強いのか」と聞かれてもそうでもない。自分が副部長である意味を見出せなくなった。そこに、学力面での自信のなさも追い打ちを掛けていた。この頃のテストの成績は常にEランだった。
 
 ある日、いよいよ副部長の重圧に耐えられなくなった俺は副部長を辞めた。これで少しは楽になるかと思っていた。だが、実際はそうでもなかった。なぜならチーム自体がリーダーを求めていなかったからだ。それならば、自分がリーダーを務めていた方がまだマシなのではないかと思った。
 副部長辞任から約1か月。俺は再び副部長に就任した。それでも、積み重なった劣等感は拭えなかったが。

 

3年生春~秋 ~絶望~

 3年生の5月末(?)、部活を引退した。いよいよ受験までのカウントダウンが始まった。
俺の通っていた高校は「進学校」である。多くの生徒は国公立大学GMARCH、できる人は旧帝大早慶・京大・東大を目指している。普通なら、周りの熱気にあてられて受験勉強に対するやる気を出すところである。しかし、勉強に対するやる気は未だに起きなかった。というよりは「何をしたらいいか分からない」状態だったのかもしれない。1,2年生の学習内容を碌に把握できていないのだ。復習のしようがないし、3年生で学習する内容もサッパリ分からない。正直詰んでいた。

 そして3年生の文化祭終了後、本格的に「学校に来る意味」を見出せなくなっていた。授業の内容は全く分からず、挙句の果てに寝てしまう。勿論放課後に部活はない。3年生の10月あたりからは本当に「闇」だった。そんなもんだから精神を病んだ。1,2年のときもそうだったが、担任に「死にたい」と愚痴る回数が増えていった。保健室の先生のカウンセリングを受けるようになった。
 ここまで精神的に追い詰められているにも関わらず、学校自体を休むことはなかった。今考えても不思議でしかない。恐らく、中学校で「きちんと登校する」ということが呪いのように体に染みついていただけだと思うのだが。

 

3年生冬 ~受験と卒業~

 どうやら俺は変なところで真面目なのかもしれない。学校で申し込んだ模試は全て出席した。絶望的な成績にも関わらず、センター試験(当時)・二次試験までしっかり受験した。二次試験では、国立大学2校・私立大学2,3校を受験した。そして全落ちした。今思えば親に申し訳ないとは思う。どこの大学にも受からないような成績の俺の受験費用を出してくれたことについて。
 結局流されるままに予備校に入学することになるのだが……。それは「予備校編」で書きます。

 

最後に

 正直高校に碌な思い出はない。寧ろ「あの高校より1つレベルの低い高校に行っていた方が幸せだったのでは?」と思うほどだ。
だが、少ないながらもメリットはあった。今もつるんでいる仲間と巡り会えたことが1つである。
 また、中学で成績上位、高校で成績下位の環境を味わったおかげで、様々な視点から物事を考えられるようになったと思う。あるときはデキる人の目線で、あるときはできない人の目線で物事を考える。こういった「多角的に物事を見ようとする意識」は、あの高校生活がきっかけになっているのだろう。
 そして、今の思想。例えば「勉強だけが全てじゃない」とか、「人間はクソ」とか「学生はちっぽけな世界で生きている」とか。暗い思想が目立つ俺ではあるが、今の自分の思想は嫌いではない。あの高校に通っていなかったら知る由もなかったかもしれない。その点に関しては、あの高校に感謝したい。

 

 ……長らく語っていましたが、これにで「高校編」を終了します。
そう遠くないうちに第二部「専門学校編」を投稿するので、暫しお待ちを。