勉強・スポーツ・芸術……。どの分野にも「天才」という者は存在する。
トップ層は勿論の事、私からしてみれば一般人以上の才覚を示すことができる人もまた「天才」に分類されるのではないかと思っている。
昨今はSNSによる情報の発信が容易に行えることもあってか、「天才」の存在がより身近なものになった。
これによる恩恵は多数ある。
色々な人が動画、配信、ブログなどでそのノウハウを公開することでプロのテクニックや知識を簡単に習得することができるようになった。
また、これは機会にも依るが、配信などで質問をした際に、物理的な距離を気にすることなく当人から教えを乞うことができる可能性もある。
副次的な要素だが、Youtubeのスーパーチャット、Noteへの課金など、個人に対する金銭的な支援の実施によって、「天才」を「推し」にすることもあるだろう。そうすることは、QOLの向上など、人生においてプラスの方面に働くこともあるだろう。
だが、『「天才」は身近になりすぎた』とも言うべきか。何気なく開いたSNSでは常に自分の上位存在が活躍している様を見せつけられる。いわゆる「SNS疲れ」の一種だ。
かくいう私もSNS疲れに陥ることは多々ある。
私は驚くほど平凡で中途半端な人間である。いや、もしかしたら「平凡」と名乗ることすらおこがましいのかもしれない。
勉強は高校時代に挫折。部活(陸上)も中学・高校とそれなりにこなして、それなりの記録しか残せていない。「コミュ障」の自覚があるくらいには、人との交流は苦手。
趣味についても、SNSに蔓延る狂人ほど狂えることはできない。かと言って衆目を集めるようなイラスト、動画を作れるかと問われれば、答えはNOだ。
それは社会人になっても変わっていない。言われた業務をそれなりにこなし、それっぽく仕事をしているだけ。
趣味についても、コンテンツを受動的に享受することがほとんど。作品制作によるアウトプットを試みても、他の人の二番煎じ、あるいは劣化になっているように感じられる。
自分語りが少し長くなってしまった。そんなことから、平凡な自分に嫌気がさすことはしょっちゅうある。かといって、非凡に成り上がるための時間や、それに伴う犠牲をを割けるかと聞かれると困ってしまう。
要するに私は、「何者かになりたいだけの愚者」なのだ。現実から逃避しているだけの夢遊病者なのだ。
しかし、この夢が覚めることはない。この夢の中にいる時が幸せだと学習してしまったから。
どう罵ってくれたって構わない。私も、こんな自分が心底嫌いなのだから。

