オギの備忘録

やあ、私の名はオギだ。何かを発信したかった。ブログを開設した理由はそれだけで十分さ。

「鈴波アミを待っています」を読んで

[目次]

 

はじめに


 お久しぶりです(n回目)! オギです!
 さて! 皆さん、突然ですが「バーチャルYouTuber(以後Vtuber)」というモノをご存知でしょうか?まあ、最近何かと話題になっていますし(良い意味でも悪い意味でも)、名前くらいは聞いたことがある方が多いのではないのでしょうか? 私のtwitterからこのブログにアクセスされている方ならば言わずもがな、でしょう(適当)。
 知らない方のために一応VTuberの定義を書いておきます。

 

 バーチャルYouTuber(バーチャルユーチューバー、英: Virtual YouTuber)は、2016年12月に活動を開始したキズナアイがYouTuber活動を行う際に自身を称した事に始まる語である。

 元々はキズナアイ自体を指す語であったが、2017年末以降では主にインターネットやメディアで活動する2DCGや3DCGで描画されたキャラクター(アバター)、もしくはそれらを用いて動画投稿・生放送を行う配信者の総称を指す語として使用されている。

 略語として「VTuber」「Vチューバー」(ブイチューバー)ともいう。*1

 


 ところで。なぜ私が冒頭で突然「VTuber」というワードを取り上げたのか? それは、今回紹介する本の中核にもなってくる存在であるからです。

 


「鈴波アミを待っています」について


 今回紹介する本は「鈴波アミを待っています」という本です(早川書房 2022年3月25日発行 作者:塗田一帆(ぬるた いっぽ))。

 

 この本は池袋のジュンク堂書店でたまたま見つけました。私は新書を買う際に通称「ジャケ買い」というものを行うことがあります。そうです、基本はレコード・CDに対して行うジャケ買いを私は本に対して行っているのです。表紙の絵柄を見て「おっ!」となったら買う。それが自分に合っているかどうかは後程考える。そんな適当具合です。本書もジャケ買いで買った一冊です。


 本書「鈴波アミを待っています」の装画はイラストレーター兼アーティストの「しぐれうい」先生が担当しています。しぐれうい先生はVtuberの立ち絵のデザインを手掛けています。あとは分かりますね。……そういうことです。

 以下、本作裏面記載のあらすじです。

 

 Vtuber「鈴波アミ」がデビュー1周年を迎えた夜。しかし、待望の配信は始まらなかった。彼女は突如失踪してしまったのだ。視聴者たちは"推し"の復帰を信じて、1年間の配信アーカイブを同時視聴して待ち続ける。新型コロナによって社会も混乱していくなか、鈴波アミと視聴者の未来は……?メタバース時代のネット文化が生んだ感動のストーリー!

 


感想

本書を読んで

 私は本書を読んで、ここ2,3年くらいの現状を赤裸々に描いているなという感想を最初に抱きました。メタバースVR、そして新型コロナによる社会活動の縮小。特に、背景にコロナ禍を取り入れた作品を初めて読んだので、新鮮に感じました(新型コロナを作品背景に取り入れた作品はドラマ「和田家の男たち」しか知らなかった)。


 本作はVtuber好きな人には読んでほしい作品です。勿論「活字は嫌い」「読書する時間がない」という方もいらっしゃるでしょう。ですが、本作全体は200ページと少なめで、文も読みやすかったです。また、YouTubeのコメント欄を模した箇所が頻繁に出てくるので、体感ページ数は150~180ページくらいです。発売されてから間もないので今から読んでも遅くありませんし、比較的短時間で読むことができます。

 

Vtuberのリスナーってなんだろう


 本作では主人公の名前は最後まで語られません(一人称が「俺」なので男性ではある)。これは、本書を読んでいる私たち1人1人が主人公のような状況、言わば「ただの"いちリスナー"」であることを表しています。主人公は社会的に優れた立場であるわけでもなければ、SNS上のインフルエンサーというわけでもありません。そんな主人公は推し「鈴波アミ」の失踪した日の翌日から、1年前同日の配信アーカイブを同時視聴することを提案します。そこから、いつ帰ってくるとも分からない推しを待ち続ける日々が始まります。

 しかし、それでも世界は刻々と変化し続けます。自分たちを置き去りにして進みゆく世界と、いくつかの出来事に遭遇し、いつしか主人公は「Vtuberのリスナー」という存在に留まっている自分、そしてVtuberの存在自体に疑問を持ち、絶望してします。

 

 まるで自分自身を見ているような気持ちになりました。私は本書の主人公ほどVtuberに執心はしていません。しかし、自分の無力さを痛感して絶望したことなら何度もありました。SNSの発達によって、各方面のプロの技がいくらでも目に留まるようになった昨今。自分の中の劣等感を刺激するには充分すぎる環境です。私は絵を描くことは勿論、作曲、楽器も出来ません。かと言って、Vtuberに見境なく金銭も時間も渡すこともできません(自分が無駄にリアリストで冷静なのと、飽き性なため)。それでも「自分がいた証・生きた証を残したい」。私の場合はそういった動機付けで色々なことを始めました。質問箱、ブログ、小説執筆、動画編集、ツイキャス配信etc。閲覧数・同接数は気にしていないつもりでも、それらに多少気を取られ、挙句の果てには枷にすら感じてしまう始末。全くもって情けないです。そんな、今自分が感じている無力感と主人公の境遇が重なりました。

 

 配信者たちはよく言います。「リスナーのおかげで配信が続けられている」と。果たして本当にそうでしょうか? リスナーはあくまでも大多数の中の1人であって、配信者と特別な関係になれるわけではないです。悪い言い方をすれば、私たちは「配信者の養分」なのです。そんなことはとっくに分かっていたはずです。アイドルの追っかけもそうですしね。見方を変えればスポーツ観戦ですら同じように捉えられます。コンテンツという花が存在する限り、視聴者・サポーター・ファン・信者という栄養は必要不可欠なのです。特にVtuberは自宅に居ながら応援出来るという性質上、余計に孤独に感じるだけで。

 

 ですが、結局それらは私たちの中の劣等感が原因なのです。世の中というものは、複雑に見えて案外単純なものです。ただただコンテンツを消費するだけの存在で何が悪い! 本来「娯楽」とは消費されてナンボのはず。そこに使命感や義務感を抱くようになってしまったのは、SNS文化の弊害と言えるのかもしれません。

 

 過去に賢人たちが「人生の意味」について考えてきました。しかし「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。どう考えたって答えの出ない問題はあります。Vtuberのリスナー、つまり「娯楽の消費者」についてもそうです。そこに意義や意味を見出すことは難しいでしょう。なぜなら当人たちは「楽しいから」などの至極単純な理由でそれを享受しているのだから。人間はそこまで賢くはないのです。

 

最後に


 本書ほど「配信者」という存在に迫った作品は初めて読んだので、なかなかに興味深かったです。
 これは余談になりますが、本書の最後に公式として、感想ハッシュタグ「#鈴波アミを待っています」、ファンアートタグ「#鈴波アート」が指定されています。現実とリンクしたような気分になって面白いですね。

 

 2018年頃から熱を持ち始めたVtuber界隈。しかし、その歴史はまだ5,6年と浅いです。しかしそれ以上の密度を感じるのは、ひとえに毎日供給される膨大なコンテンツ量に起因するところがあると思います。Vtuber業界の日々の発展は目を見張るものがありますが、その反面で数多くの問題・不祥事があることも事実です。これはVtuber業界が世間一般的に「集客力のある一大コンテンツ」という側面を認められていないことによるものではないかと考えられます(Vtuberは基本実体がないので、コンテンツとして捉えることはまだ難しいのかもしれませんが……)。しかし3月に開催された「hololive SUPER EXPO 2022」のように、実績を残しているVtuberのリアルイベントも存在します。さらにはメタバース技術が発達すれば、Vtuberが実体を持って我々の目の前でライブを行う、なんていうことも可能になるかもしれません。

 

 そんな時代を目前に控えた今、Vtuberのリスナーは他のコンテンツのファンと同等な存在にあるのではないでしょうか? コンテンツに優劣がないように、そのファンもまた優劣がない状況でなければならないはずです(しかしマナー違反者はNG)。Vtuberのリスナーであること。それだけで貴方のアイデンティティは確立されているのです。
 私たちは待っているのです。新しい時代の到来を。

 

[参考文献]

社会人になるにあたって

 なんやかんやで既に3月下旬。1年の1/4が終わることになる。そして、新しい年度が始まる。それは私とて例外ではない。

 

 4月から私が勤務する会社は、3/28~3/31までを「研修期間」として働くことになっている。つまり、この記事を執筆している今日が春休み最終日ということだ。率直に言おう。不安しかない。

 私は一応、これからSEとしての道を歩むことになる。しかし、入社後どのような流れで勤務することになるのか、皆目見当がついていない。研修期間は何を勉強するのか。夏からの業務は何をすればいいのか。社会保障のいろはも分かっていない。etc......。

 加えて、こんな自分が社会人として真っ当に生きていけるのかも怪しい。私は所謂世間知らずだ。一般常識は備わっていないし、自活力は皆無に等しい。協調性はないし、思想は厭世的だ。自分に特別な価値があるとは思えないし、寧ろ自分は人間のクズとさえ思っている。

 だが、そんな私でも社会に存在してもいいと言うのならば。刹那的な人生に自分なりの価値や意味を見出せるというならば。こんな人生にも意義があるのかもしれない。

 

 まるっきり「働きたくない」というわけではない。社会人になれば、今よりお金は稼げるし、人生の自由度も増すのだろう。そこに私は未来を、そして希望を見出したいのだ。そして、私自身の人生の意味や価値を創り上げていきたい。大いなる翼を持つ若人は蒼穹へと放たれるべきなのだ。

 

 結局何が言いたいのかというと。「頑張って働いていくよ」という意志表示と、学生と社会人としての区切りの今日、ブログに何かを投稿したかったということ。最初の2週間で上手いことリズム掴んで、今まで以上に活動の幅を広げられたらなと。現在更新しているブログ・小説・動画投稿・ラジオetcの更新がゴミみたいな頻度になるとは思いますが、許してください(そもそも俺がやりたいときにやってんだからよくね?)。

 

 ではこの辺で。お目汚し失礼。

俺の過去を振り返る(専門学校編)

[目次]


過去回想編です。今回は専門学校編です。

 

前回の記事はこちら。

 

ogichangs-thinking.hatenablog.com

 

前説

 2016年秋。青年は東京都渋谷区は千駄ヶ谷にいた。
「専門学校 東京ネットウエイブ(現 東京クールジャパン)」、オープンキャンパス当日のことである。

 

新たな可能性

 高校3年生の秋。進学校の受験生ともあらば、とっくに志望大学を定め、センター試験(当時)及び二次試験のための準備を行っている頃である。
 その機運は高校生活にも如実に現れていた。受験生はとっくに部活を引退した(俺なんかは春の時点で引退していた)。授業では、高校までの学習範囲を終わらせてひたすら演習をしている教科すらある。放課後の校舎や図書室・自習室は、夜遅くまで明かりが付いている。
 100人中100人が大学進学を志すような環境において、それ以外の選択など無いに等しかった。

 

 ……一方その頃のオギ青年はというと。

 

 前述したとおりに「抜け殻」になっていた。

 

 部活動、文化祭などの行事は既に終わった。勉強は碌にしてこなかったせいで何も分からない。そのクセに学校をサボるような勇気はない。惰性で登下校を繰り返しているような状況だった。


 正直に言おう。この時期は高校の卒業資格を得ることだけを考えて登校していた。

 

 勉強も部活も上手くいかず、ただただ鬱屈とした思いを2年半以上抱え続けて、このザマである。当然、心が死んだ。この時期から、保健室の先生のカウンセリングをそこそこに受けるようになった(それまでの高校生活でも、カウンセリングまがいのものを受けてはいたのだが、今回は多少本格的なヤツ)。思えばこの時から今に至るまで、環境は変われど、ずっとカウンセリングのお世話になってたんだなぁ……。

 

 何回目かのカウンセリングの時。進路についての話になったときに、保健室の先生からある助言を頂いた。

 

専門学校に進学するもの1つの手だよね

 

 心底驚いた。仮にも進学校に勤める先生が、4年制大学以外のところを進路として進めてくるとは……! 話によると、過去に私の高校から専門学校に進学した先輩がいたとのこと。
 これを聞いたとき私は「あれ? 専門学校ワンチャンあるんじゃね?」と思った。私はこの時既に、(漠然とだが)工学系の大学に進学してプログラミングの勉強をしたいと考えていた。これからのIT社会を見据えた時に、ITエンジニアは絶対に食いっぱぐれないからだ。
 もしコンピュータ系の専門学校に通えば、大卒の人よりも2年早く、即戦力として就職できる。それに、大抵の専門学校は筆記試験がないから、高校の勉強ができない俺でも入学はできる。
 ……まあ、こういうとこはどこまでも打算的だった。

 こうして専門学校にワンチャンを見出した俺は、早速コンピュータ系の専門学校について調べるのであった。

 

オープンキャンパス

 ざっとコンピュータ系の専門学校について調べていたとき、「東京ネットウエイブ」という学校を見つけた。何やら面白そうなホームページをしているし、立地も悪くない。というわけで資料を請求した。資料が家に届いたとき、親にはそこそこ問い詰められたが。

f:id:ogichangs_thinking:20220312165833j:plain

専門学校 東京ネットウエイブ(現 東京クールジャパン)

https://www.cooljapan.ac.jp/

 

 オープンキャンパス当日。受付にてメンバーズカードを受け取り、体験授業を受けることになった。

f:id:ogichangs_thinking:20220312165928j:plain

これ、スタンプ3つ貯まったらどうなるんだろうか

 体験授業では、簡単なコードを打ち込んでミニゲームを作るといったことを行った。勿論、普通の高校ではプログラミングなんてやらないので、とても新鮮に感じた。

f:id:ogichangs_thinking:20220312170004j:plain

実際に使用したプリント

 そんなわけであっという間にオープンキャンパスが終わった。


 だが、何かが違った。あまりにも抱いていた幻想と乖離していた、と言った方が正しいのだろう。とにかく、内容が薄く感じた(だからなのか、オープンキャンパスの記憶があまりない)。
 もし専門学校に入学すればプログラミングを専攻できる。しかし、裏を返せばそれしかできない。校内には普通の学校のような活気が無いし(個人の所感)、当然サークルなんてモノもない。本当にプログラミングに関することだけを学ぶ場所なのだ。
 更に、仮に入学したところで在籍期間は2年間。その間に専門的な知識を詰め込まなければならない。それに1年生のうちに就活をしなくてはならない。意外と時間にシビアなのだ。
 それが分かった途端、急速に熱が萎んでいった。我ながら単純である。この日を境に「行くとしても4年制大学だな」と思うようになった。まあ、悪くない経験ではあったのだが。

 

後日

 その後、オープンキャンパスの感想を保健室の先生に話した。しかし、問題が解決したわけではない。「専門学校」という選択肢を消した以上、4年制大学入学に向けて努力をする必要があった(もとより就職は考えてない)。今から努力しても、大学進学を目指すには絶望的な学力。それでも、相変わらず勉強に対するやる気は出なかった。

 

――時は流れ、2017年3月。受験した大学全てに落ちた

 

次回、予備校編へと続く……。

プリキュアシリーズ第19作目「デリシャスパーティ♡プリキュア」の放映は今の世の中に何を訴えかけているのか ~SDGsの社会的な浸透とコロナ禍の今~

f:id:ogichangs_thinking:20220220121147j:plain

[目次]

はじめに

 

※注意
いつものクソ記事です

 

 私は中学3年の冬にプリキュアにドハマりしました(当時のクラスメイトから布教された)。作品で言うと第10作目「ドキドキ!プリキュア」のときですね。
 家庭科の実習で保育園の子供たちと遊ぶに当たって、プリキュアの絵を用いた紙相撲を製作したことがきっかけでした。3人くらいのプリキュアを模写したのかな? これでも模写はそこそこ出来る方です。
 時は流れ2022年2月。「今作のプリキュアは真剣に視聴しようじゃないか」とふと思いました。アマプラでの配信が決定したことが理由の1つですね。


 今作「デリシャスパーティ♡プリキュア」は、主に「」をテーマとした作品です(プリキュア作品において「食」と言えば、第11作目「ハピネスチャージプリキュア!」のキュアハニーを想起する方も多いのではないでしょうか?)。
 以下は、公式サイトの作品情報(原文)です。

 


この世のおりょうりをつかさどる
おいしくて幸せな世界・クッキングダム。

 

ある日、クッキングダムが大切に守ってきた
全てのおりょうりの作り方が書かれたレシピボンが、
怪盗ブンドル団にぬすまれたからさあ大変!

 

すべてのおりょうりをひとりじめしようとたくらむブンドル団が、
つぎに狙うのはおりょうりの妖精【レシピッピ】…!!

 

和実ゆい、芙羽ここね、華満らん
レシピボンを探しに人間界のおいしーなタウンにやってきた
エナジー妖精たちのちからを借りて、
ひょんなことから、 3人の普通の女の子がプリキュアに変身!

 

レシピボンを取り戻し、みんなのおいしいえがおを守るため、
ブンドル団に立ち向かう!

 

 

 なぜ今この時期に「食」をテーマにしたプリキュアを放送するのか。私はそこに2つの理由を見出しました。

 

SDGsの台頭

 

 まず1つ目は、「日本社会全体にSDGsを遵守する機運が高まっているから」です。まず始めに「SDGs(Sustainable Development Goals)*1」とは、「持続可能な開発目標」のことを指します。これは、人類が地球で暮らし続けていくために、2030年までに達成すべき17の目標を記したものであり、2015年に国連総会で採択されました。その中でも2番の「飢餓をゼロに」のところに注目したいと思います。

 

f:id:ogichangs_thinking:20220220121509p:plain

SDGsの17の目標

 戦後以降、世界各国で農地の開拓・農業の効率化が図られ、現在では大量の食材が世界中で取引されています。そんな飽食の時代にあってなお、発展途上国では飢餓で亡くなってしまう人が大勢いるというのが現状です。
 下記は、2005年から2020年における世界の飢餓人口の推移を表したグラフ*2です。

 

f:id:ogichangs_thinking:20220220121544j:plain

2005年~2020年の世界の飢餓人口の推移(2020年は推定)

 2005年から世界的な飢餓状況は改善傾向にありましたが、2020年では逆に悪化してしまっています。このデータを用いた資料が作成された時点では2020年度の飢餓人口は推定データになってしまうのですが、2019年と比較して飢餓人口が7000万人~1億6100万人ほど増加してしまっています。
 原因としては、やはりコロナの影響が大きいと考えられます。2020年は新型コロナウイルス(COVID-19)が初めて観測された年ということもあり、各国がロックダウンを実施しました。そのせいで経済活動が停滞し、人々は職を追われ、所得が激減し……といった感じでしょう。勿論、貧困の原因としては戦争やその国の情勢も考えられますが、飢餓人口の増加と新型コロナウイルスの台頭に因果関係はないとは言い切れないでしょう。

 明日の食事に困窮している国がある一方で、先進国では逆に「食品ロス」の問題が発生していることも事実です。日本を例に考えてみましょう。農林水産省によると、令和元年度の日本における食品ロスの量は570万t(推定)*3に達するとのことです。

 

f:id:ogichangs_thinking:20220220121708p:plain

令和元年度の日本の食品ロス総量と国民1人当たりの食品ロス量

 上記の図によると、意外にも家庭系食品ロスの割合が全体の46%を占めています。となると、「飲食店やコンビニがバカスカ廃棄食品を出しているだけだから、自分には関係ない」と発言はいよいよ言い訳になります。飽食の時代、果たして我々は「食」のありがたみを実感できているのでしょうか?
 「デリシャスパーティ♡プリキュア」はまさに、食べ物のありがたみ・食の大切さを我々に訴えかけているのではないでしょうか?

 

コロナ禍による飲食店の衰退

 

 2つ目は、「コロナ禍によって飲食店が弱っているから」です。この記事を執筆している現在、全国の大部分で「まん延防止等重点措置」が施行されている影響で、飲食店の営業が基本20時までに制限されています。この2年間で幾度となく繰り返されてきた営業時間の短縮によって、大多数の飲食店が経営に関わるレベルの被害を受けています。今では協力金の配当もよく分からないことになっているため(個人の所感)、特に個人経営の店、小規模展開の店が割を食っている状態です。
 下記は、帝国データバンクの「飲食店の倒産動向調査」に関するデータです*4

 

f:id:ogichangs_thinking:20220220121926p:plain

2000年~2020年の飲食店倒産件数

 21世紀以降、2020年の飲食店倒産件数は過去最高の値をたたき出しています。勿論、慢性的な不況・デフレが倒産の原因にもなっているとは思いますが、2020年4月~6月の緊急事態宣言、その後のまん延防止等重点措置の存在を無視することは出来ません。
 それは今も変わっていないのではないでしょうか? 町を歩くと、短縮営業どころか、休業している飲食店が結構な数あります。某居酒屋チェーン店までもが休業する始末です。
 この2年間で私の住んでいる町の景観は大きく変わりました。コロナ禍による経済活動の縮小によって、店舗の入れ替わりの頻度が増したからです。これは飲食店に限ったことではありません。
 そんな社会情勢を鑑みた上で「デリシャスパーティ♡プリキュア」は、人々に食事をする楽しさ、延いては外食することの楽しさを広めているのではないでしょうか? 外食を推奨することで、経営者も利用者も笑顔になってほしい。そして、飲食業界の活気を取り戻してほしい。そんな願いも込められているのだと、私は拡大解釈します。勿論コロナ対策は十全に。(料理からレシピッピが奪われると料理の味が変になるとか、それ完全にコロナの症状の暗喩では......)

 

最後に

 

「デリシャスパーティ♡プリキュア」はこのブログ投稿時点で第3話までを放映し終わっています。今作は全作同様TVerでの見逃し配信(1週間限定)、加えてAmazon Prime Videoでの配信も行っています。まだ間に合う! 絶対見ろ!!

 あと、ジェントルーちゃんがメチャクチャすこです。どエッチ。

 

f:id:ogichangs_thinking:20220220122029j:plain

ジェントルーちゃんすこ。光堕ちしてほしい

 それではこの辺で。皆様、ご唱和ください。せーの……、


 ブンドルブンドルー!!

 

[参考文献] (全て2022年2月20日閲覧)
・デリシャスパーティ♡プリキュア 公式サイト
https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/

*1:unicef 公益財団法人 日本ユニセフ協会, 持続可能な世界への第一歩 SDGs CLUB, SDGsって何だろう?
https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/

*2:・THE STATE OF FOOD SECURITY AND NUTRITION IN THE WORLD 2021
https://www.fao.org/3/cb4474en/online/cb4474en.html

*3:農林水産省, 食品ロスとは
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/161227_4.html

*4:帝国データバンク, 飲食店の倒産動向調査(2020年)
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p210101.html

俺の過去を振り返る (高校編)

[目次]

 

 過去回想編です。過去を振り返る記事は、ブログ開設時からやりたいと思っていました。全3部作、まずは高校編です。

 

前説


 俺は中学生のころまでは所謂「デキル奴」だった。


 自分で言うものなんだが、客観的に見てもそう言えるだろう。定期テストでは常に10番以内、部活動(陸上部)では県大会出場。学校対抗駅伝の代表にも3年連続で選ばれた。
通知表の評定は9教科合計40点を下回った記憶がない。それどころか、9教科45点満点を取ったことすらある。まさに「文武両道」を体現していた。

 そんな俺は県立の進学校に入学した。今思えば、この3年間がいい意味でも悪い意味でも、今の自分の思想を形作ったのだろう。

 

1年生春 ~驕り~


 入学当初の俺は調子に乗っていた。必死こいて勉強した記憶がないのに、気が付いたら県内でトップクラスの高校に進学していたからだ。そんなんだから「あれ? 俺案外この高校でもそれなりにやっていけるんじゃないか?」と自分の能力を疑っていなかった。
 そんな調子に乗りまくっていた俺は、文化祭実行委員や陸上部に加入したりして、高校生活を楽しんでいた。
 そして更に調子に乗っていた俺は、前々から欲しかったNintendo 3DS(中古)を購入した。

 

思えば、これが「運命の分岐点」だったのかもしれない。

 

 新しいゲーム機を手にした俺は、毎日部活とゲーム三昧の日々を過ごしていた。そして迎えた1学期中間テスト。……俺は全く勉強していなかった。部活とゲーム三昧だったから、というのもそうだが、このときの俺は軽い「燃え尽き症候群」になっていたのだ。「高校に合格すること」が目的になってしまっていたのだ。そんなんだから勉強のやる気など起こるはずもなく……。初めてのテストはDラン(下位20~30%)という称号を承ることになったのだ。

(当時の1年生は約360人。俺の通っていた高校では、テストの順位に応じて非公式のランク付けがされていた。)

 

 これには流石に絶望した。何せ、今までトップ層を走っていた人間が下から数えたほうが早い部類にまで落ちぶれたのだ。しかし、勉強のやる気は依然として湧かなかった。それよりも文化祭と部活とゲームのことで頭が一杯だった。

 

1年生秋 ~文化祭終了~


 部活三昧の夏休みが終わり、2学期が始まった。高校の文化祭は、基本的には夏休み明けすぐの週末に行われる。俺の通っていた高校の文化祭は、高校にしてはとにかく規模が大きかった。
 俺は文化祭実行委員の「イベント班」に属していた。なんでも、イベント班の1年生は野外ステージで出し物をすることになっている。面白いこと好きの俺が食いつかないはずはなかった。夏休みの間は部活と並行で、出し物であるダンスの練習をしていた。そして迎えた本番。出し物は見事に成功した。

 

だが、高校生活で楽しかったのは正直ここまでだった。

 

 2学期中間テスト。Eラン(下位10%)を取った。文化祭が終了したということで、親もいよいよ当たりが厳しくなってきた。しかし、それでも勉強の意欲は起きなかった。膨大な課題をこなしつつ、1年生の1学期分の遅れを取り戻せるビジョンが見えなかったからだ。
 文化祭終了後、月日はあっという間に過ぎていった。それくらいには、高校生活のこれといった思い出がなかったのかもしれない。ただ、日に日に自分が嫌いになっていくことだけが分かった。

 

2年生 ~重圧~

 

 2年生の6月。部活の県大会に来ていた。とは言っても、県大会に出場した先輩の応援でだが(陸上部では誰かが県大会に出場したら、公欠を取って部員全員で応援に行くことになっている)。
 県大会最終日。毎年この時期に世代交代が行われる。短距離、長距離部門から1人ずつ代表を選出し、どちらかがそれぞれ次期部長・副部長になる(俺は長距離部門)。正直、この発表がされる前から「次期長距離部門代表は俺だな」という確信は持っていた。人間的な面で俺が一番マシな部類だったのだ(俺より実力のある人はいるにはいるのだが)。


まあ、案の定俺が長距離部門代表兼、副部長に任命された。

そこまではよかった。

 

 だが、俺は自分で思っているより真面目だったのかもしれない。2年生の秋頃、副部長としての責務に押しつぶされた。「チームをまとめられているか」、と聞かれればそうでもない。「ならばチームで一番強いのか」と聞かれてもそうでもない。自分が副部長である意味を見出せなくなった。そこに、学力面での自信のなさも追い打ちを掛けていた。この頃のテストの成績は常にEランだった。
 
 ある日、いよいよ副部長の重圧に耐えられなくなった俺は副部長を辞めた。これで少しは楽になるかと思っていた。だが、実際はそうでもなかった。なぜならチーム自体がリーダーを求めていなかったからだ。それならば、自分がリーダーを務めていた方がまだマシなのではないかと思った。
 副部長辞任から約1か月。俺は再び副部長に就任した。それでも、積み重なった劣等感は拭えなかったが。

 

3年生春~秋 ~絶望~

 3年生の5月末(?)、部活を引退した。いよいよ受験までのカウントダウンが始まった。
俺の通っていた高校は「進学校」である。多くの生徒は国公立大学GMARCH、できる人は旧帝大早慶・京大・東大を目指している。普通なら、周りの熱気にあてられて受験勉強に対するやる気を出すところである。しかし、勉強に対するやる気は未だに起きなかった。というよりは「何をしたらいいか分からない」状態だったのかもしれない。1,2年生の学習内容を碌に把握できていないのだ。復習のしようがないし、3年生で学習する内容もサッパリ分からない。正直詰んでいた。

 そして3年生の文化祭終了後、本格的に「学校に来る意味」を見出せなくなっていた。授業の内容は全く分からず、挙句の果てに寝てしまう。勿論放課後に部活はない。3年生の10月あたりからは本当に「闇」だった。そんなもんだから精神を病んだ。1,2年のときもそうだったが、担任に「死にたい」と愚痴る回数が増えていった。保健室の先生のカウンセリングを受けるようになった。
 ここまで精神的に追い詰められているにも関わらず、学校自体を休むことはなかった。今考えても不思議でしかない。恐らく、中学校で「きちんと登校する」ということが呪いのように体に染みついていただけだと思うのだが。

 

3年生冬 ~受験と卒業~

 どうやら俺は変なところで真面目なのかもしれない。学校で申し込んだ模試は全て出席した。絶望的な成績にも関わらず、センター試験(当時)・二次試験までしっかり受験した。二次試験では、国立大学2校・私立大学2,3校を受験した。そして全落ちした。今思えば親に申し訳ないとは思う。どこの大学にも受からないような成績の俺の受験費用を出してくれたことについて。
 結局流されるままに予備校に入学することになるのだが……。それは「予備校編」で書きます。

 

最後に

 正直高校に碌な思い出はない。寧ろ「あの高校より1つレベルの低い高校に行っていた方が幸せだったのでは?」と思うほどだ。
だが、少ないながらもメリットはあった。今もつるんでいる仲間と巡り会えたことが1つである。
 また、中学で成績上位、高校で成績下位の環境を味わったおかげで、様々な視点から物事を考えられるようになったと思う。あるときはデキる人の目線で、あるときはできない人の目線で物事を考える。こういった「多角的に物事を見ようとする意識」は、あの高校生活がきっかけになっているのだろう。
 そして、今の思想。例えば「勉強だけが全てじゃない」とか、「人間はクソ」とか「学生はちっぽけな世界で生きている」とか。暗い思想が目立つ俺ではあるが、今の自分の思想は嫌いではない。あの高校に通っていなかったら知る由もなかったかもしれない。その点に関しては、あの高校に感謝したい。

 

 ……長らく語っていましたが、これにで「高校編」を終了します。
そう遠くないうちに第二部「専門学校編」を投稿するので、暫しお待ちを。