現代社会において、スマートフォンやAIの存在はより身近なものになっている。
誰もがスマートフォンを1台以上所有し、GeminiやChatGPTなどのAIツールを使いこなしている。
こうした技術が世の中に広く普及すれば、当然生活やシステムもそれに順応する。端末決済を利用すれば現金に触れずに1日を過ごすことができるし、家から1歩も出ずに多くの友人を作ることも可能だ。
だが、ふと思った。今後さらにIT技術が発達することで、「実体」を意識することがより希薄になる社会が来るのではないか。ひいては、人間の身体が世界との媒介役としての役割を放棄する時がくるのではないかと。
現在のスマートフォンは、ガラケーと比べると物理ボタンの数がかなり減った。
スマートフォンに付いている物理ボタンといえば、電源、音量ボタン、ホームボタン+@くらいではなかろうか。
「携帯の物理ボタン」をある種の「実体」と捉えた場合、「スマートフォンの実体は減少した」と言える。もちろん、物理ボタンのあった場所には液晶画面が拡張されることになるのだが、液晶画面が実体を伴っているとは、私には考えにくい。当然であるが、液晶画面は「何かを確実に押下した」という実感が伴わない。すなわち考え方によっては、「スマートフォンの実体に確実に触れた覚えがないが、なぜか画面が操作できている」と言い換えることができるのではないか。
ご高齢の方がスマートフォンの操作に苦戦しがちなのは、「物理ボタン」という実体への接続を無くしたことで、多くの時間をかけて行った「実体へのチューニング」が適用できなくなったから。そういう説もあると私は考えている。明日から日本の道路が右側通行に変わると通達されたところで、すぐに適応できる人間は少ないだろう。
もっと視点を拡張してみよう。
例えば飲食店のモバイルオーダー。これを利用することで現金やメニュー表、店員といった実体を意識することなく、商品を注文することができる。ウーバーイーツなどの宅配サービスを利用すれば、「店舗」という実体を意識する必要もなくなる。
例えばインターネット。これを利用することで辞書や人といった実体を意識することなく、必要な情報を取得できる。なんだったら、対話型AIを用いれば、友人に話しかけるような感覚で、労せず情報を取得できる。
実体とは異なるかもしれないが、人とのコミュニケーションもそうだ。オンライン会議やチャットツールを使えば、対人のプレッシャーや場の空気を意識することなく人と繋がれる。
オンライン会議でカメラをオンにしなくてもいいおかげで、今話している人の顔すら分からない。そういったことに思い当たる節がある人もいることだろう。
このように、技術の発展によって何でもスマホとインターネットだけで解決ができてしまう時代になった。「実体」の必要性は段々薄れていると感じる。
もしかしたら遠い未来、人の肉体は「外部世界との接続」という役割がなくなり、ただの「肉の塊」という枷になるかもしれない。そうなった場合、SF作品にあるように、脳だけをホルマリン漬けにすることで、人類は肉体からの脱却を図ることになるだろう。そこまではいかずとも、私たちの手からは「実体」が現在進行形で離れつつある。
「スマートフォンやインターネットに接続するな」と言いたいわけではない。だが、今の人類にはまだ「実体」が必要ではないかと思う。電子書籍の内容が頭に入りにくいように。オンラインショッピングで散財してしまうように。物理デバイスを伴わない行動は、人間の脳に対して「行動と認知の歪み」を起こしているような気がする。
人間の本質が動物である限りは、「実体」からの脱却は夢物語にすぎないのだ。
p.s.
どちらかと言うとアナログ人間である私にとって、モバイルオーダーなどの「スマホを持っていることを前提」とした社会の設計については思う所があります。


