オギの備忘録

やあ、私の名はオギだ。何かを発信したかった。ブログを開設した理由はそれだけで十分さ。

「映画を早送りで観る人たち」を読んで

 今回もまた面白そうな本を読んだので感想をば。

 

・「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ ― コンテンツ消費の現在形」 著:稲田豊史 (2022/4/30 光文社新書)

 

[目次]

 

本書の要約

 

 Amazon PrimeNetflixなどの台頭によっていつでも・どこでも映像作品を視聴できるようになった昨今、老若男女問わず映像作品を等速以上の速度で視聴する人が増えている。一見すると「作品を味わって鑑賞していない」「映像作品に対する冒瀆」と捉えられるような行為であるが、消費者側にもそうせざるを得ない事情があった。


・映像作品のサブスクリプション化によって、1作品にかける金銭的コスト・時間的コストが減少した。それによって、映像作品を「鑑賞」することから「消費」することへと人々の意識がシフトしていった
・特に若者において、作品の内容ではなく、周りの人との会話についていくことを重要視している
・「分かりやすさ」を重視した結果、セリフ・テロップなどによる説明過多な作品が増加。倍速視聴でもそれなりに内容を把握できるようになってしまった
・近年の娯楽コンテンツの供給過多により、映像作品の視聴時間を確保しづらくなった。そんな中で、確実に面白い作品だけを見極める「映像作品の効率的視聴」が求められている


 理由は様々だが、なぜ映像作品にまでタイムパフォーマンスを求めるようになったのか。その理由と背景を分析している。

 

感想

 

 現代日本には様々なコンテンツが存在する。特にここ十数年は、Amazon PrimeNetflixなどのサブスクリプションの充実を始めとして、インターネット環境があれば様々な娯楽を享受できるようになった。それらは我々の人生に彩りを与えてくれるが、如何せん規模が大きくなりすぎてしまったのかもしれない。それが本書で取り上げている「映像作品の早送り視聴」問題の大きな原因の1つであることは間違いない。


 そもそも、今までの人生において、一度も映像作品を早送りで視聴したことが無い人がどれだけいるだろうか?若者はいわずもがな、ある程度サブスクリプションYoutubeが使える中高年層ですら早送り視聴をするほどである。残念なことではあるが、早送り視聴はマジョリティになりつつあるのだ。

 

 私はアニメ、映画、ドラマなどのコンテンツを早送り視聴することは基本ない。「早送り視聴をすると内容が入ってこない」というのもあるが、「等速で視聴することを前提にして作られている作品は、やはり等速で観ないといけない」という考えが根底にあるからだ。しかし、Youtubeに関しては早送り視聴を多用している(1.25倍或いは1.5倍速)。なぜ、アニメ・映画・ドラマは等速で観るのに、Youtubeは早送り視聴をしてしまうのだろう。


 これについて本書では、映像作品を「芸術として鑑賞」しているのか、それとも映像作品を「コンテンツとして消費」しているのかという線引きで判断していると記載されている。つまり私の場合、アニメ・映画・ドラマは「プロが作った芸術作品」として鑑賞しているが、Youtubeの動画群は「アマチュアが作った消費コンテンツ」としてただ見ているということになる。いくらサブスクリプションが充実してきたとはいえ、前者は気軽に見返すことが出来ない可能性がある(契約している配信サイトにない、そもそも配信されていないetc)。しかし後者は、動画投稿者が作品を削除する or 運営から動画が削除されない限る、半永久的に作品が電子の海に残ることになる。この「作品視聴の機会損失の可能性」が作品を「芸術」にするのか、「コンテンツ」にするのかの要因の1つにはなっていそうだ。

 それだけでなく、動画投稿サイトに投稿される作品自体「基本的にストーリー性がない」点(1本完結)、「エンタメ性を重視している」点も大きな理由になってくるだろう。

 

 話を戻そう。本書で提示されている問題は「プロが作っている映像作品が、制作側が意図していない形で観られている」ことなのだ。映像制作のプロたちは話数・時間・コストなどの制約から逆算して、作品の細かな演出の時間を決める。これが小説・漫画などの映像化なら、1話分でどこまで進めるか、原作のどこまでを映像化するか、セリフ以外のシーンや間をどのように表現するかなどを考える必要があるので、完全オリジナル作品を作るよりも難易度は高い。そんな苦労の末に生まれた作品が早送り視聴、酷い場合はシークバーを使ったコマ飛ばしで消費されてしまうのだ。当たり前ではあるが、60分の作品は60分掛けて視聴されることを想定しているのだ。巻き戻しはあるかもしれないが、早送りはされない想定なのだ。


 なにも「アニメ・映画・ドラマの方がYoutuberの作ったコンテンツより優れている」と言いたいわけではない。動画投稿サイトの作品群も、クリエイター的には等速で視聴してほしいところだろう。しかし、動画時間や構成に柔軟性を持てる動画投稿サイトよりも、計算されつくされた構成と大掛かりなコストの元に作成された映像作品の方が、等速視聴で得られる恩恵が大きいというだけの話である。

 

 ここまで、早送り視聴をする人を批判するような文章を書いてきたが、本当は早送り視聴をする人ではなく、彼らを取り巻く環境に問題があるのかもしれない。なぜ彼らは早送り視聴をしてしまうのか。本書にはいくつかの理由が記載されていたが、私が特に気になったものを3点挙げたい。

 

①時間がない

 

 単純に「時間がない」のである。時間がないから取り合えず早送り視聴をする。ずっと作品を積むことで生じる焦燥感に駆られるよりマシだから。
 また、「友達の話についていくため」というのもここに当てはまるだろう。アニメやドラマの話についていけないだけで切れる友人関係などこちらから願い下げ、と言いたいところだがそうもいかないらしい。次に友達に会う日まで「時間がない」から早送り。現代人が忙しいのは当たり前だが、これらは映像作品を「コンテンツ」として時間内に「消費」することを第一に考えているからこその発想だろう。
 
➁ストレスを解消したい、自分が見たいものだけ見たい

 

 現代社会はストレス社会とも言い換えられる。疲れて帰ってきたところでドラマでも見ようとしたら、主人公がいじめられているシーン、人間の黒い部分を生々しく描写したシーン、腹が立つシーン。生きているだけでもストレスが貯まるのに、なぜ娯楽にまでストレスを感じないといけないのだろうか。
 勿論、作品の構成上、暗いシーンがあったらその後どこかにスカッとするシーンが入っていることが多い。だが、そのスカッとするシーンを待つだけの余裕がない。現に私も、ドラマ内で腹が立つシーンはあまり見たくない。

 

③より深く見たい

 

 これは劇場での映画鑑賞に見られるのだが、予め映画のネタバレサイトで内容の予習をした上で本編を視聴すると、登場人物のセリフの意味が分かったり、細かい演出に気が付けたりして更に楽しめるらしい。初見で映画を見て理解できない部分があったときに、そのモヤモヤ感を抱えたままでいるのが気に入らないらしい。正直、この意見については私は賛同できない。基本的に映画は初見の状態で観た方がいいと思うのだが。寧ろ、創作というものは余白・考察の余地があるくらいでちょうどいい。

 

 本書はアニメ・映画・ドラマを早送り視聴する習慣のなかった私にとっては、とても興味深い1冊であった。早送り視聴の理由が、突き詰めると「人間関係」に起因するものが多いというもの興味深かった。
 しかし、今度も私はアニメ・映画・ドラマを早送り視聴することは基本ないだろう。だが、Youtubeの早送り視聴はやめられそうにない。私もまた時間の奴隷なのだ。