オギの備忘録

やあ、私の名はオギだ。何かを発信したかった。ブログを開設した理由はそれだけで十分さ。

2022年を振り返る

 2022年12月31日午前0時過ぎ。終電に近い電車に転がり込んだ私は、最寄り駅で下車し、帰路についていた。友人と飲み屋を2件練り歩いた結果、食べ過ぎでダウンしていた。12月深夜の空気はそれなりに冷える。

「いい年をして何を馬鹿なことをやっているんだか」

 若干の気持ち悪さと冷たい風にさらされながらそんなことを思っていた。

 

 2022年は私にとって大きく環境が変わった1年だった。1月は適当に卒論制作の仕上げを行いつつ、塾講師のアルバイトをやっていた。2月上旬、何とか卒論発表を終え、学位の取得を確実なものにした。2月中旬から3月下旬までの記憶はあまりないが、自堕落な生活を送りながら惰性でアルバイトをやっていたような気がする。思えば、この時期をもっと有効活用すべきだった。

 

 3月の最終週。私の社会人生活が始まった。私が就職した会社は「アルバイト期間」という位置付けで少し早めに研修が始まる。第三者からすれば「学生最後の春休みを削られるなんて」と思うかもしれないが、私としては時間も潰せるし、アルバイト期間分の給料は貰えるし、早めに生活リズムを矯正することが出来るしで、メリットしかなかった(まあ、座学は少々退屈ではあったが)。

 3月最終週から5月一杯までは東京会場で研修を行った。平均して週2,3日(リモートあり)、片道90分ほど満員電車で通退勤。そこからプログラミングやコンピュータの基礎を時間一杯まで学ぶ毎日。東京という地に合法的に立ち寄れるのが嬉しかったのだろう。昼休みや業後に研修会場周辺を散策していたことを思い出す。研修内容は一部を除いて特段難しくはなかった。これは大学時代の講義や個人的に行なった資格の勉強のおかげだろう。

 

 6月は場所を本社に移しての研修。資格取得研修という位置付けで、業務時間中はひたすら資格の勉強を行う毎日。このときが一番キツかった。特に出社日のときは、他人の監視の目がある中でたいして集中もできない勉強をすることがキツかった。だが今となっては、6月が一番楽だったなとも思う。

 

 7月。現在の部署に配属された。私が配属された部署は一言で言えば「当たり」だった。曲がりなりにも「少数精鋭」をモットーにしている部署である。なぜそんな部署に私が配属されたのだろうと今でも思う。

 まあ、それはさておき。7月から12月まではある1つの案件の作業員として仕事を全うした。気が付いたら、11月あたりから私がその案件のリーダー的立ち位置になっていた。なぜ。

 その間に会社(上司)から推奨された資格もいくつか取得した。現在も2023年に取得予定の資格に向けて下準備を進めている(……進めてるよな?)。

 12月は(私個人に関しては)やるべき仕事が無くて半分「リモート窓際族」と化していた。1~3月にはまた仕事があるらしいのだが、どうなることやら。

 

 ざっと2022年を振り返るとこんな感じである。世間一般からすれば「変化の多い1年」とでも評されるのだろう。だが、私にとっては「たまたま生きていたらたまたまそうなった」くらいの認識くらいでしかない。私を取り巻く環境が変わろうと、私自身の本質が変わるわけでもない。私自身の本質は今も「無能なクズ」である。

 

 これを書いている今は、昨夜の食べ過ぎによる苦痛はなくなり、正常な状態である。

 私はあと何回こんなバカげたことができるのだろう。私のバカに付き合ってくれる友人はあとどのくらい傍にいてくれるのだろう。私はいつになったら自己を肯定できるのだろうか。

 分からない。年が明けたところで何も分からない。結局はそうなのだ。いつもと同じように月は沈み、日は昇り、新しい1日が始まる。ただそれだけのことなのに。人は12月31日から1月1日の境目に限って「Happy New Year!」と声高に叫ぶ。本質的にはただ日付が1日進んだだけなのに。

 

 12月31日から1月1日に日付をまたいだところで、劇的に何かが変わるわけではない。それでも人は年の節目に何かを期待してしまう。ならば、私も新年になにかを期待してもいいのだろうか。来年こそは、と確定しない未来に自らの運命を委ねてもいいのだろうか。

 

 やっぱり分からない。何も分からない。未来なんてものは「ラプラスの悪魔」でもない限り誰にも分からない。それでも時の流れに流されながら生きていくしかない。

 

 私はこれからも、このくだらない世界に中指を立てて生きていく。